apapax’s diary

妄想も好き https://tetsukon07.blog.fc2.com/

暑くなった

年々、夏を超すのが大変になってきた。

暑い。

暑すぎる。

 

最初の1日で、もう暑いのいい、と思ってしまう。

しかし、まだ2か月続く。

 

オリンピックがもうすぐだが、1年で一番暑い2週間だ。

なぜこの時期に?

オリンピックは好きだ。

やってほしいし、楽しみだが

 

選手たちにも命の危険があるような暑さなのに。

 

日本が快適なのはやはり秋だろうけど

 

日本の暑さを知らない外国選手は驚くだろうけど、日本人には有利かな?

こんなに暑くなかったようなあ、昔は…

 

でも、英知を駆使して、オリンピックのためにアスファルトやミストを工夫してきた。

公衆トイレもウォシュレットになった。

これって、いいことよね?

 

 

義母に一番腹が立つこと

義母に一番腹が立つこと、それは、自分の子供をまったく見てこなかったことである。

私の母は、昔私に言ったことがある。

親は、子供のやることにいちいち口を出さなくてもいい。

間違わないように、見ていてあげなければならないが、と。

その一言を私は心に留め置いた。

その通りに私は母に育ててもらった。

父も好きなことをやる人だったが、肝心な時は見ていたんだなと思う。

弟が高校時代くらいの時に、朝帰りしたことがあった。

父は弟が帰ってきたとたん、弟の部屋に入っていき、殴りつけたという。

 

弟は、大人になってから言っていた。

あの事がなかったら、そのまま俺は変な方向にいっていただろうと。

 

父のそんな姿は母から聞いたのだが、とても意外に思った。

父はいつも自分の好きなことばかりしていて、子供には無関心だと思っていたからだ。

父の本当の姿は、晩年よく見えた。

母が亡くなってからだ。

 

義母も義父も小さいころ親を亡くし、食べるのに大変な思いをして成長した。

だから、理解はできないでもない。

でも、私が許せないのは、子供のことに関心をもって、知ろうとしなかったことである。

 

こうありたいというその理想は、外的なものだった。

人より裕福でありたいという願い、よく見られたいという思い。

しかし、子供の心は置き去りにしていて、子供の心には忘れられない納得できない思いを残した。

あまつさえ、孫にまでも。

心の中のことは全く無関心だった。

 

夫は、いつも親に対して疑問を感じながら育った。

だから、精神的に素直になれなかった。

人を疑うことが常となった。

ひねくれたようになったが、不思議とそう感じさせないものもある。

だから、私はこの人と結婚し、仕事もできなくても一緒にきた。

自分の子供に対しては、忙しい私に代わって母親代わりをしてくれた。

息子は、夫の愛をふんだんに受けて育った。

 

あの親から生まれたが、親から学んだものではなく、なにか生まれた時から持ち合わせているような価値観を持っているのが夫だ。

生きているのはつらいはずで、仕事もできなかった、楽しみもろくになかった、体はどこもかしこも悪いところだらけ

 

この家の先祖からのひずみを生きて清算しているとしか思えない。

そのことは伝えているが、本人は冗談じゃないと思っているようだ。

 

いろんな家族がいるが、なぜ私にはこんな家族なのだろうと思うくらい特殊だ。

夫の弟ももう何十年も帰ってこない。

孫も祖父母が嫌いで帰ってこない。

それがわからないで、帰ってくることを願うばかりの義母に、それを聞くたび腹が立つと言えない私だ。

 

子供の心を大事にしないできたくせに、帰ってくるわけないだろう

 

そう私は心で言っている。

義父母を許せる日が私には来るのだろうか?

 

 

 

いとこのご主人が亡くなった

いとこのご主人が亡くなった。

私がこちらに出てくるときに、いとこ夫婦がこちらにいたから親が出してくれたような感じがあった。

 

本当に面倒見の良い、立派な人だった。

食道がんだった。

6年前、大手術の末に、いとこがかいがいしく介護していた。

 

正直、年を取ってからのかかわりはほとんどなかった。

でも、喪失感は大きい。

姉からの電話で、言葉が出なかった。

 

もっと接しておけばよかったなあ。

家族葬で終わらせてしまったようである。

香典も受け取らないということだった。

 

7/8、

7月は命日の人はいなかったけど、一人できてしまったなあ。

ワクチン接種1回目

一昨日、夫のワクチン接種をした。

不自由なほうの肩にしたので、筋肉があまりないせいか、わりと痛かったという。

しかし、そのあとはあまり何も言わなかった。

 

それが、昨日は一日眠いようで、ほとんど日中眠っていた。

あのくらい眠れない眠れないという人なのに、昏々と眠っていた。

それがワクチンの副反応だと思い始めるのにちょっとかかった。

 

昨日はだから、散歩に出れる状態ではなかったため、行かなかった。

 

まあ夕方には覚醒して話もできたが、文句ばかり言ってても、文句を言う元気が出てきてよかったと思った。

 

PEP-FD療法というのをまたやることにした。

右肩、右ひざでまた44万かかるが、本人が何とかしたいと即答したので、少しでも良くなればと思う。

 

夫の激痛

最近また夫の右肩と右ひざが痛み出した。

かわいそうに、つらくても自分でさすることもできない。

1秒だって長く生きていたくないと本人は言う。

 

こんなつらさをどうやって緩和してあげたらいいか?
どれだけ自分のこととしてわかってあげられるか。

 

すべてを感謝するには程遠い。

でも、せめて受け止めてあげなければならない。

つらいその心情を。

憂国のモリアーティ

楽しみにしてたアニメ、憂国のモリアーティが終わってしまった。

 

BL漫画という人もいるが、私としては違うと言いたい。

そんな倒錯の世界に行きたい人は行っていただいていいが、私は関係ない。

 

何がいいか?

まず絵がきれい。

そして、キャラが全員魅力的。

 

すべてにスマートで優しげなウィリアム

本当ならとんでもない三兄弟

他のキャラも全部いい。

 

私のイチ推しはモランかな。

何しろ、ハードボイルドを地でいくところだけど、実は貴族の出身で締めるところは締める。

どこに出てもうまくやる。

 

ニ推しはボンド。

これ、ほんとは女性。

でも、その女性自体がカッコイイ。

 

シャーロックもとてもあんな小説の恰好じゃないところがいいし。

ああ、残念、もう新しいの見れないのね。

 

楽しかったなあ。

 

 

感謝すること

この数か月はめちゃくちゃだった。

まず、4月下旬に膀胱炎から来た腎盂炎になり、発熱、このコロナ禍のため、発熱外来で4日間点滴を受けた。

その時、帯状疱疹も併発したが、腎盂炎の苦しみのほうが大きく、以前の痛かった記憶よりはましに思えたが、大変なのはそのあとだった。

強い抗生剤のため、全身に薬疹が発生。

自分の体をお風呂で鏡に映してみて、悲しくなった。

 

何より腎盂炎がきつかった。

発熱したまま、体の倦怠感と寒気で倒れたまま動けなかった。

1週間仕事を休んだが、この忙しい時期に仕事がたまることも心配だった。

さらに、例年にない余計な仕事が重なったため、そっちの心配も大きかった。

休み中、どうしても行かなければならず、半日出勤して、チェックをしてあとは先生にお願いした。

 

熱が下がった後も、咳が残り、実は今もまだ息苦しさは残っている。

PCR検査は陰性だったが、この咳に今までもずっと苦しめられた。

 

すべてに感謝することが幸運の秘訣だと私はいろいろと聞いて思っている。

しかし、体のきつさはそれができないものだと実感した。

 

夫がずっとベッド上で動けない状態になって3年になる。

しかし、介護しながらも、どれだけ夫がつらいのか、分かる気がした。

 

朝やっていた不動産のチラシ配りは、1回45分くらいで月1万円にも満たなかったが、楽しんでやって、10年以上続けた。

しかし、とうとう時代が違うやり方のせいで、このやり方をやめると連絡がきた。

あと1回やれば、そこで終わる。

正直、小さなお小遣い稼ぎにはなったが、それに行くために縛られているものもあった。

それがなくなることで、その時間ができることになった。

 

その時間どうしようか?

そう思ったら、たまにブログでもやるかと思った。

料理もいいが、気ままにやることにしよう。

こっちも気ままにやることにしよう。

 

感謝する毎日を行く。

それがこれからの目標だ。