apapax’s diary

妄想も好き https://tetsukon07.blog.fc2.com/

眞子さん

眞子さん。

私はとてもがっかりしました。

こんなあなたの頑固さ、わがままは見たくなかった。

 

何も好きな人と結婚するのが悪いと言ってるわけではなかった。

でも、自分の置かれている立場、

周りの人たちが困ることには考えなければならないものがあったと思いませんか?

 

どれだけ人の批判を浴びましたか?

何よりも、なぜそこまで批判されたのか、分かりませんか?

 

みんな、悲しい思いです。

日本の中心を汚された思いなのですよ。

 

私の姪はあなたの名前をとって名前をつけられました。

名前つけちゃったんですよ。

あなたは今回のことで私の姪の名前まで汚したのではないですか。

 

結婚はあきらめるべきでした。

それしか私は言いませんが

 

がっかりしました。

あなたの罪は、人々の心情を無にしたことです。

それだけ特別な位置にいた方だったのですよ。

 

おじいさま、ひいおじいさまのご苦労を、

みんな見てきました。

そして、尊敬してきました。

 

あなたはその結果をちゃんと見ていなかったのですか?

今の日本の美しい精神の中心を。

 

もうどうしようもありません。

生涯かけて自分のしたことの意味を学んでください。

 

 

 

信頼を築く

選挙の声掛けで思ったが、やはりその時だけでは人は「なんだ、選挙か」と思うだけ。

同時に、声を聴けた喜びも失せるのである。

 

人はコミュニケーションで信頼を築く。

私は、30年仕事をしているが、最初の10年は名前も覚えてもらえなかった。

 

しかし、継続は力なり

さらに、誠実に対応してこようと努力してきた。

何よりも相手のことを考えて仕事をしてきて、それを積み重ねてきた。

 

意外と、それがいつの間にか信頼を築いている。

1回でも2回でも、同じ相手でなくてもいい。

気が付いたら、相手が喜んで話しかけてくれるようになったことに気づいた。

 

これを、家族のじいさんばあさんにもできたらいいが

これが意外とできないものなのだ。

 

一緒に住んでいる分、それは築きやすいかもしれない。

やはりそこにいやでもコミュニケーションがあるからだ。

 

できるだけ人と話をしよう。

夫とも。

そこで何かあっても、活路が開かれる。

 

 

人を許すこと

昨日息子に電話した。

ワクチン接種のあと、どうだったか聞いてみたかったのだ。

2日間つらくて動けなかったらしい。

39度熱が出たと言っていた。

 

そのあとは後輩の話だった。

仕事上でどうもやりにくいらしい。

のんきで、息子のようにストイックな人間はどうも合わないと思うらしい。

 

息子の話を聞いていると、もっともなところもあるが、親としては息子が人を大きな目で見れないことが気がかりだ。

自分に合わない人間はたくさんいる。

やりにくいこともあるが、相手を自分に合わさせようというのは無理な話である。

 

息子の良くないところは、不満を募らせていくと、最後にぶちぎれ、その人を許さなくなってしまうことである。

そこに至るまでには、かなりの期間を使ってその人をじっと見ているのだが、そこでしっかり評価を下しているのである。

 

人間を見るというところではある程度よくできる分野なのかもしれないが、そこに、人間に対する愛情や許しが必要だ。

人は完全な人にはなりえないのだから。

 

どうやって教えたらいいものかはわからない。

でも、いつか自分のなかのそこに問題があることを気づかなけらばいけないだろう。

 

子育ては永遠だ。

眞子様の結婚

眞子様と小室圭さんがいよいよ結婚するらしい。

私はどう見ているかというと

 

「やめときなさい」のほうである。

なぜなら、今は相手が本当に理想の相手に見えるかもしれない、

でも、そんなことが100%あり得るわけがないからである。

 

眞子様は、特別な位置にいる方である。

将来の日本の天皇の娘である。

眞子様の結婚は皇族の大問題なのである。

血縁になるからだ。

お子様が生まれたら、皇族の血統になってしまう。

 

まかり間違えば、天皇の後継者になりかねない。

あの小室という人は、それだけの自覚がある人か?

 

いやいや、そう思えない。

 

眞子様に言いたい。

結婚してしまえば、必ずこの人でなければならなかったということは絶対にない。

なぜなら、すべては自分がその相手をどう愛するかによるからだ。

どんな相手でも、最高になるし、最悪になる。

熱烈な大恋愛をしても、結婚してみて自分がどう愛せるか、

幸せになれるかどうかはそこにかかっている。

だから、結局は自分次第。

 

結婚したら、分かるだろう。

この人でなくても良かったかなと。

こだわる必要はないし、みんな、眞子様のこと、日本の将来のことを考えているのだ。

反対されて燃え上がるのはわかるが、

 

やめといたほうがいいと皆が思う相手なのだ。

 

まあ、きっとそう思うと思うけど

いうこと聞かないよね…

 

皇族って、すごく大変な位置にいるんだよ…

だから、特別だし、みんな、美しくいることを願っているし

 

残念極まりないのが私の心の中

 

 

 

自己中のばあさん

土曜日に整形外科に行き、レントゲンを撮ってもらったら、第4と第5の間が狭くなっているという。

ほっとくと椎間板ヘルニアになると言われた。

リハビリするように言われたが、私、いってる暇ないんだよなあ…

 

とりあえず、今日は1日休んでリハビリに行ってこようと思う。

 

ばあさん!

ばあさんは私が腰に来たと知ったとたんに言った言葉がある。

「私がどうしたらいいのか困る」

 

そのことを夫が聞いていて、また引っかかったようだ。

「自分のことしか考えてない」

 

ばあさんの思うことはみんな思うことではあるが。

分からないことはないが、夫はその言葉の中に含まれるニュアンスを感じ取る。

 

この前、私が腰の具合が悪く、眠ってしまっていた。

その時、夫が呼んだ。

ティッシュとって」

 

夫は動けないのである。

とってあげなければならない。

それなのに、ばあさんはテレビを見ていて、全然動こうともしない。

 

私は、必死で起きて、ティッシュをとってあげたが

夫はそれまでに何度も呼んでいたのである。

 

そして、起き上がろうとしている私にばあさんが言った。

「寝てなよ!」

 

そういうなら、ティッシュとってあげるくらいやってあげてくれ!

私はそう思った。

そして、夫もそう思ったようだ。

夫は私が起き上がれずにいることを察して「どっちでもいいからとってくれ」と叫んでいたのである。

 

 

なんだか、すべてが自己中心なのだ。

それが夫には腹が立ち、悲しいことなのだ。

最近は親じゃないとまでいう。

 

確かに、この人たちを見て育って、世の中を信じたい気持ちにはならなかっただろう。

夫はむしろ、ぶれないでいる中心があったから逆にまともなのだ。

 

そう思うように最近なった。

 

私は、1階にじいさんとばあさんがいると、そこからさっさと退散したくなる。

夫は動けないから余計だろうな。

 

これをどう受け止めて、打開したらいいだろう。

与えられた環境でどう感謝したらいいのだろう。

 

自分の訓練ですか?

 

 

突然の腰痛

一昨日のことだった。

朝、顔を洗おうと前かがみになった時

あれ?と思った。

なんか、腰がはまらない感じ

 

前かがみの体勢が維持できなかった。

違和感がそのまま続いたが、動けたので何とか気にせずに動いていた。

 

昨日も違和感は続いていたが、動けたのでそのまま仕事に行って座って仕事をしていた。

大丈夫かな、と思っていたが、夕方やはり右の骨盤の上あたりが痛くて、変な感じだった。

 

帰ってきてもやはりそのままおかしかった。

そして、時間がたつと、腰全体に鈍痛が広がってきて

 

 

夜、姉から電話があったが、その時にそれはぎっくり腰だから、病院へ行くように言われた。

姉も2回やっているらしい。

腰に疲労がたまっていて、いきなり来るとのこと。

 

とにかく、病院へ行ってこなければ。

確かに、介護の行動は腰に負担がかかる。

リハビリ病院でも、みんな言っていた。

だから、ベルトをあげたりもした。

 

今日は栄養士さんが来るが、お義母さんに聞いてもらうために来るから、私は間に合わなくても大丈夫かな?

 

普段何事もなくやっていた行動ができない。

とにかく、早く対処しよう。

 

じいさんの味覚障害

息子はコロナではなかった。

本当に、何だったのか?

味覚障害もどうやら気にならなくなってきたようである。

 

味覚障害がこのまま続くときついもんがあると言っていたが

とにかく自分は体験したことがないのでよくわからない。

職場の人が自分もなったことあるが、原因はわからなかったという。

なんにせよ、今の時期にそんなことになるとは、紛らわしい。

 

味覚障害亜鉛の不足が多いというと、息子は早速サプリメントを買いに行ったようである。

 

とにかく、コロナでなかったことはたくさん唾液を採取してはっきり分かったし、症状も熱もすぐに下がり、下痢も一回だけだったらしいから、よかった。

職場には1週間休んで復帰するとのこと。

3日間は事故扱いだそうで、2日は有休を使うことになるらしい。

 

味覚障害と言えば、昨日もじいさんが私の心を込めて作っている料理に難癖をつけた。

 

おかずは、豚肉の生姜焼きである。

朝から冷凍していた肉を解凍し、しょうがと酒、しょうゆにつけておいた。

それを夜はばあさんがさっと焼けばいいようにしておいたのである。

 

豚肉は数少ない爺さんが文句を言わず食べる食材だが、だれよりも先に箸をつけて、

「あー、しょっぱい。しょっぱくて食えたもんじゃない」という言葉が、隣の部屋で夫のおむつを替えている私の耳に聞こえてきた。

そして、「そんなことないよ。おいしいじゃない」というばあさんに「だったらこれ食べてみなよ。しょっぱいから」と言って、もういらない、と突き返す。

 

私は、そんなにしょっぱくしたっけ?と思いながら、全部やることをやって自分が食卓に着き、食べてみたが

 

しょっぱくなんかない。

むしろおいしかった。

 

いつも、何にでも自分でしょうゆをかけるくらいしょっぱくしてから食べるのが爺さんである。

 

あまりに腹が立ったので、「そんな風にしか食べられなかったらもったいないよ」

と言ってやった。

 

この前、テレビで所ジョージのおとうさんの話がやっていたが

お父さんは厳格な人だったが、大恋愛をして結婚し、毎日夕食のあと、おかあさんに

「おかあさん、今日の料理もグーだったよ」と一言言っていたようである。

 

所ジョージは、お笑いだが、人間味が感じられ、温かみのある人だとつねづね思っていたが、おそらくそのような家庭ではぐくまれた健全さがあるのだろう。

 

料理をおいしく食べる、それがどれだけ作り手の心を喜ばせるか。

そして、まずいという言葉や、自分の好みでないと箸もつけないといった態度がどれだけその人を傷つけるか

 

私は、偏食は人間の好き嫌いに通じるといつも思っている。

好き嫌いのない人はいないが、少ない人は人間に対しても許容量が大きい。

 

私は、爺さんのために一切料理を作ってあげたくないと思うこともしばしば。

私は、人が自分のために作ってくれた料理をおいしく食べる人間でいよう。