オリンピックで思うこと
東京オリンピック、中止だ、延期だとすったもんだがあって、とにかく開催にこぎつけたが
いざ始まってみると、みんな楽しんでいる。
いいよ、家で見ていても、テレビがあって解説聞きながら、選手をアップで見れて
人間には、やはり感動が必要。
アスリートたちは、一つの色のメダルを手にする目標を定め、そこに照準を合わせてすべてをなげうって自分を鍛錬してきているのである。
そのために肉体もそうだが、精神面の強靭さも必要なのだ。
オリンピック競技を見ていて、人が感動するのは、この精神面で鍛えられているアスリートたちの姿なのだ。
私は、オリンピックに反対する人たちの気持ちがわからなかった。
明らかに、違う考えだった。
人は、心を持っているのである。
何をするにも、本人の意思がなければ体は動かない。
要は、心に「やる気」が出ることが一番のコロナ対策なのだ。
オリンピック招致が決まって、どれだけ多くの人が準備してきたか、それに合わせて計画し、多くの企業がかかわったはずである。
その過程では様々な問題や壁にぶち当たったはずだが、それを超えてここまでやってきた。
それをなぜ直前になってまで中止を叫んでいるのか、私には理解できなかった。
イベント企画をしてから成功させるまでの労力は、小さなイベントでも大変なものである。
子供のPTAだって、1年かけて地域祭りの準備をするのだ。
世界を巻き込んでのスポーツ祭典の準備がどれほどのものだろうか。
人の意見に惑わされず、自分の目で真実を見据えることができなければといつも思う。
メディアは偏りすぎていて、それに影響される人たちが多すぎる。
私はその人たちに言いたい。
「一回、そこの責任者になって、企画から実行までやってみてから言いなさい」
人がやることを批判するのは口が動けばできる。
でも、実行するのは体だが、意思が必要なのだ。
そして、なんでも暴露していいというものではない。
その人の人生があるじゃないか。
どうすんだよ、こんなにこの人の人生をここまでしちゃって、と思うことも多い。
無責任に物事を言いすぎるメディアの姿には、飽き飽きする。
全部お金次第で動くって現状も、おかしくない?
堂々とは言わないよ、つぶやくだけ。
言ったら、また血眼にして批判してくる人たちがいるから。