apapax’s diary

妄想も好き https://tetsukon07.blog.fc2.com/

連日の金メダル

うれしいことに、金メダルラッシュが続いてる。

毎日、テレビのチャンネルを変えながら、あちこち見ていて、忙しくて

でも、みんな、頑張ってる。

 

案外期待されていた人たちは結果を残せていない。

でも、それでも見ていてたのしいのがオリンピックだ。

 

老兵は去るのみ

この前姉が電話で自分の仕事のことで言った言葉だが

確かに年には勝てない。

でも、その人が残した功績は確かに残るし、輝かしいものがあるのである。

 

人間ってここまでできるの?

そう思わせてくれる人たちである。

 

私にはとてもそのようなものがないけど、人それぞれがあのように自分の目指すものを早くから見つけ、それに向かって努力し続けるならば、何かしら残せるのだと思う。

素質はもちろん必要だ。

その素質、どんな素質があるのかを早く見つけ、本人たちが頑張っていくなら

 

良い指導者も必要だが、それは本人が努力していれば引き寄せてくる。

 

それを見せてくれるのがオリンピックだ。

オリンピックで思うこと

東京オリンピック、中止だ、延期だとすったもんだがあって、とにかく開催にこぎつけたが

 

いざ始まってみると、みんな楽しんでいる。

いいよ、家で見ていても、テレビがあって解説聞きながら、選手をアップで見れて

 

人間には、やはり感動が必要。

 

アスリートたちは、一つの色のメダルを手にする目標を定め、そこに照準を合わせてすべてをなげうって自分を鍛錬してきているのである。

 

そのために肉体もそうだが、精神面の強靭さも必要なのだ。

オリンピック競技を見ていて、人が感動するのは、この精神面で鍛えられているアスリートたちの姿なのだ。

 

私は、オリンピックに反対する人たちの気持ちがわからなかった。

明らかに、違う考えだった。

人は、心を持っているのである。

何をするにも、本人の意思がなければ体は動かない。

 

要は、心に「やる気」が出ることが一番のコロナ対策なのだ。

 

オリンピック招致が決まって、どれだけ多くの人が準備してきたか、それに合わせて計画し、多くの企業がかかわったはずである。

その過程では様々な問題や壁にぶち当たったはずだが、それを超えてここまでやってきた。

それをなぜ直前になってまで中止を叫んでいるのか、私には理解できなかった。

イベント企画をしてから成功させるまでの労力は、小さなイベントでも大変なものである。

子供のPTAだって、1年かけて地域祭りの準備をするのだ。

世界を巻き込んでのスポーツ祭典の準備がどれほどのものだろうか。

 

人の意見に惑わされず、自分の目で真実を見据えることができなければといつも思う。

メディアは偏りすぎていて、それに影響される人たちが多すぎる。

私はその人たちに言いたい。

 

「一回、そこの責任者になって、企画から実行までやってみてから言いなさい」

 

人がやることを批判するのは口が動けばできる。

でも、実行するのは体だが、意思が必要なのだ。

そして、なんでも暴露していいというものではない。

その人の人生があるじゃないか。

どうすんだよ、こんなにこの人の人生をここまでしちゃって、と思うことも多い。

 

無責任に物事を言いすぎるメディアの姿には、飽き飽きする。

全部お金次第で動くって現状も、おかしくない?

 

堂々とは言わないよ、つぶやくだけ。

言ったら、また血眼にして批判してくる人たちがいるから。

 

 

 

 

息子のところに行ってきた

昨日綱島に引っ越した息子のアパートに行ってきた。

77000円、駐輪場付き築2年

駅から遠いが、駐輪場があるので自転車で駅まで通っている

 

奇遇にも、義母の兄のお墓の近くだった。

調べたら近いし、この前お盆の時期でもあり、義母ももう何年も行けていないので、ついでに墓参りをしてきた。

息子も連れて行ったことがなかったので、ちょうどよかった。

 

花も線香もなにもなかったが、1,2度行ったきりだったので、記憶を頼りに墓を探し出したら、あったので、手は合わせてきた。

 

近くのスーパーは大きくて安く、昼ごはんはそこで買ってアパートで食べた。

家具もほとんど作り付けでいらない。

あまりものを置かず、男の子の部屋としてはきれいなほうだろう。

まあ、しっかりやってるようで

 

あいつは、小さいころから手のかからない子だった。

だいたい自分でちゃんと計画をたててやる子だったので、あれこれ口を出したことはない。

要するに心配しないでいい感じの子なのだ。

 

ただ一つ、気がかりなことは、冷たいことである。

よく人間を見ていて、嫌いだと思われたらその人には冷たく、容赦がない。

許しがないのだ。

要するに、自分にあまり失敗がない分、他人の失敗を許せない。

 

私は失敗が多いので、自分が許してもらおうと思ったら許さざるを得ない。

 

あいつが嫁さんになる人を連れてきたら、人間として嫌われないように、とは言っておいてあげなければと思う。

ただの一度の失敗も許してくれないだろうから。

 

「最低」なことをしない子じゃないとだめだ。

多分、育ちのいい子。

 

結婚は遅いだろうと思う。

見つかるかな?相手が

暑くなった

年々、夏を超すのが大変になってきた。

暑い。

暑すぎる。

 

最初の1日で、もう暑いのいい、と思ってしまう。

しかし、まだ2か月続く。

 

オリンピックがもうすぐだが、1年で一番暑い2週間だ。

なぜこの時期に?

オリンピックは好きだ。

やってほしいし、楽しみだが

 

選手たちにも命の危険があるような暑さなのに。

 

日本が快適なのはやはり秋だろうけど

 

日本の暑さを知らない外国選手は驚くだろうけど、日本人には有利かな?

こんなに暑くなかったようなあ、昔は…

 

でも、英知を駆使して、オリンピックのためにアスファルトやミストを工夫してきた。

公衆トイレもウォシュレットになった。

これって、いいことよね?

 

 

義母に一番腹が立つこと

義母に一番腹が立つこと、それは、自分の子供をまったく見てこなかったことである。

私の母は、昔私に言ったことがある。

親は、子供のやることにいちいち口を出さなくてもいい。

間違わないように、見ていてあげなければならないが、と。

その一言を私は心に留め置いた。

その通りに私は母に育ててもらった。

父も好きなことをやる人だったが、肝心な時は見ていたんだなと思う。

弟が高校時代くらいの時に、朝帰りしたことがあった。

父は弟が帰ってきたとたん、弟の部屋に入っていき、殴りつけたという。

 

弟は、大人になってから言っていた。

あの事がなかったら、そのまま俺は変な方向にいっていただろうと。

 

父のそんな姿は母から聞いたのだが、とても意外に思った。

父はいつも自分の好きなことばかりしていて、子供には無関心だと思っていたからだ。

父の本当の姿は、晩年よく見えた。

母が亡くなってからだ。

 

義母も義父も小さいころ親を亡くし、食べるのに大変な思いをして成長した。

だから、理解はできないでもない。

でも、私が許せないのは、子供のことに関心をもって、知ろうとしなかったことである。

 

こうありたいというその理想は、外的なものだった。

人より裕福でありたいという願い、よく見られたいという思い。

しかし、子供の心は置き去りにしていて、子供の心には忘れられない納得できない思いを残した。

あまつさえ、孫にまでも。

心の中のことは全く無関心だった。

 

夫は、いつも親に対して疑問を感じながら育った。

だから、精神的に素直になれなかった。

人を疑うことが常となった。

ひねくれたようになったが、不思議とそう感じさせないものもある。

だから、私はこの人と結婚し、仕事もできなくても一緒にきた。

自分の子供に対しては、忙しい私に代わって母親代わりをしてくれた。

息子は、夫の愛をふんだんに受けて育った。

 

あの親から生まれたが、親から学んだものではなく、なにか生まれた時から持ち合わせているような価値観を持っているのが夫だ。

生きているのはつらいはずで、仕事もできなかった、楽しみもろくになかった、体はどこもかしこも悪いところだらけ

 

この家の先祖からのひずみを生きて清算しているとしか思えない。

そのことは伝えているが、本人は冗談じゃないと思っているようだ。

 

いろんな家族がいるが、なぜ私にはこんな家族なのだろうと思うくらい特殊だ。

夫の弟ももう何十年も帰ってこない。

孫も祖父母が嫌いで帰ってこない。

それがわからないで、帰ってくることを願うばかりの義母に、それを聞くたび腹が立つと言えない私だ。

 

子供の心を大事にしないできたくせに、帰ってくるわけないだろう

 

そう私は心で言っている。

義父母を許せる日が私には来るのだろうか?

 

 

 

いとこのご主人が亡くなった

いとこのご主人が亡くなった。

私がこちらに出てくるときに、いとこ夫婦がこちらにいたから親が出してくれたような感じがあった。

 

本当に面倒見の良い、立派な人だった。

食道がんだった。

6年前、大手術の末に、いとこがかいがいしく介護していた。

 

正直、年を取ってからのかかわりはほとんどなかった。

でも、喪失感は大きい。

姉からの電話で、言葉が出なかった。

 

もっと接しておけばよかったなあ。

家族葬で終わらせてしまったようである。

香典も受け取らないということだった。

 

7/8、

7月は命日の人はいなかったけど、一人できてしまったなあ。

ワクチン接種1回目

一昨日、夫のワクチン接種をした。

不自由なほうの肩にしたので、筋肉があまりないせいか、わりと痛かったという。

しかし、そのあとはあまり何も言わなかった。

 

それが、昨日は一日眠いようで、ほとんど日中眠っていた。

あのくらい眠れない眠れないという人なのに、昏々と眠っていた。

それがワクチンの副反応だと思い始めるのにちょっとかかった。

 

昨日はだから、散歩に出れる状態ではなかったため、行かなかった。

 

まあ夕方には覚醒して話もできたが、文句ばかり言ってても、文句を言う元気が出てきてよかったと思った。

 

PEP-FD療法というのをまたやることにした。

右肩、右ひざでまた44万かかるが、本人が何とかしたいと即答したので、少しでも良くなればと思う。